2011年3月11日。そして12日。
どちらも、一生忘れることのできない一日。
あの日から1年6ヶ月。
これまで私は、福島の復興へ向けて「自分にできること」をずっと探していました。
もっと前向きに未来へ繋がることが、何かできないかと。
元気を取り戻そうとする人たちがいる一方で
福島に絡む様々な思惑や、根拠のないデマで苦しむ人たち。
原発問題の影で、遅々として進まない復興。
福島へ向けての応援の声の、その上から撒かれる棘と毒。
このまま福島はどうなってしまうのかと
ずっとこのままなのかと
そう思って暗い気持ちになりかけていたとき
私は「117つのことば」という本に出会いました。
阪神淡路大震災後に出版された、震災の教訓絵本です。
嘘のない被災者の声。当時の状況。
17年の月日でも色褪せることのない言葉が、どれもストレートに飛び込んできました。
神戸は、震災復興のお手本の都市です。
私は、福島がいつか必ず復興することを確信しました。
この本を再出版されたのはTwitterでおなじみのいいなさんです。
この本は、教訓絵本続編の「東日本大震災・福島」版を製作するための再出版でもあることを伺いました。
それにあたり、いいなさんから”絵を描いてみませんか”と声をかけていただき、しばらく描いていなかった絵を久々に描きました。
本の絵は、言葉に添えられ、手に取る全ての方に見てもらえます。
もしかしたら、私の絵を見て何か感じてくれる人が現れるかもしれない。
それを考えたら、これは尊いことだと思いました。
そして、わたしにできる「何か」をやっと知ることができました。
私にできることは、絵を描くこと。
福島の子供たちを描いてみたいと思いました。
大人達の様々な思いをよそに、子供たちは震災前となにも変わらず
当たり前に、泣いたり笑ったりの毎日でしょう。
そんな子供たちは、ご両親にとっての宝であり、同時に私たち大人達の希望でもあります。
それは全世界共通の。
そんな福島の子供たちの、当たり前の、日常の、その表情。
それをとても描いてみたくなりました。
こんな感情は久しぶりでした。
描きたいと思う気持ちとの、待ちわびた再会です。
ところが私には、直接子供たちの元へ行って絵を描く伝も時間も才能もありません。
せめて子供たちの写真を撮ってこれたなら。
・・・
・・・どうして気が付かなかったんでしょう・・・
世界で一番の名カメラマン達がいたじゃないですか・・・
それが、子供たちの親御さんであるみなさんです。
みなさんの、子供さんに向けた愛情を、私に感じさせて下さい。
皆さんから注がれる愛情を受けた子供たちの姿を、私に描かせてください。
お礼はできませんが、描いた絵をデータとして差し上げます。
描いた絵は、いつかWEBで公開し、ポストカードにするつもりです。
ポストカードにはメッセージをつけて、どなたかに託して
たとえば福島のお米や特産品を購入していただいた方に、おまけとして添えていただけたらと思っています。
1枚の絵はとても小さいです。
でも、絵の可能性は無限大です。
絵をみて、県外の方が誰か1人でも、福島のことをもっと知りたい、現状をみたい、応援したい、と思ってくだされば。
もしくは、県内にいる方どなたかの、心が和めば。
そんな気持ちで描かせていただきます。
それが私の、故郷福島への復興支援です。
もし、私が描くことで、福島に住むお父さんお母さんのこころの中から、少しでも前向きな気持ちが芽生えてくれたら
子供さんにたくさんのありがとうを伝えて下さい。
それが私には何よりも嬉しいです。